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コラム(私の一言)

産業安全の確保・向上への経営層の役割(田村昌三/東京大学名誉教授)

東京大学名誉教授
田村 昌三

 我が国の産業界は安全の確保・向上に向けて懸命の努力をしているが、爆発・火災等の保安事故は依然として発生している。その要因として、危険への感性の低下、異常時・緊急時への対応力の不足、安全知識の不足等のおそれが指摘されており、かつて強かった我が国の現場力の低下が危惧されており、この背景には産業の進展、経済の発展による産業の高度化・多様化・国際化等の産業環境の変化や人・社会の変化があると言われている。
 21世紀の産業活動は、製品の生産から廃棄に至る全ライフサイクルにおいて人・社会・環境との調和が求められており、技術立国を目指す我が国としては安全・環境・品質・安定生産に配慮したものづくりの技術で世界と競合していく必要があろう。そのためには経営層のリーダーシップと現場力の強化による産業安全の確保・向上は必須の課題であり、とりわけトップの役割は重要といえる。
 トップは、安全理念・方針を明確に打ち出し、強い組織統率力を発揮することが必要であり、また、現場が主体的な安全活動を展開できるように、安全活動、安全実績の評価、安全管理部門の地位と権限の強化に努め、人員配置、財源等の面から適切な資源管理や作業管理を行うとともに、現場との対話に努め、相互理解を深めることにより管理層と現場が一体となって安全に積極関与できる環境作りに努めることが求められる。
 産業安全の確保・向上のためには、安全の仕組としての安全基盤とそれを活性化し、補強する安全文化からなる保安力が重要であるとし、これまで保安力を評価し、弱点を強化することを行ってきた。しかし、それは事業所レベルでの保安力や現場保安力を対象にした活動であった。今後、企業全体のさらなる保安力の強化を図るためには、事業所レベルの保安力および現場保安力に加えてそれらをマネジメントする本社の保安力、そして経営層の保安力を評価し、強化する必要がある。すなわち、経営層の保安力、本社の保安力、事業所の保安力および現場の保安力からなる総合保安力について考える必要があろう。
 製造業における安全対策のさらなる強化を図るため、官民が連携し、経営層の参画の下、業界横断的に現下の安全事業環境の変化の認識を分析・共有し、既存の取組の改善策および新たに必要となる取組を検討し、企業現場への普及を推進することを目的として、経産省、厚労省、中災防を中心に製造業10団体からなる官民協議会が活動を展開している。その活動の一つに産業安全の経済効果と社会的評価の検討が挙げられている。
 産業安全の経済効果の検討は、安全投資とその便益から経営層が適正な安全投資を行う上での経営判断に資するものであり、また、経営層が安全の重要性を認識するとともに、安全関係者の経営への貢献について理解を深めることにつながるものである。
 一方、産業安全の社会的評価については、安全が企業のみならず社会に貢献している企業等を評価しようとするもので、企業への貢献としては、産業事故の減少による物的・人的損害額の減少、経営層・従業員の活力の向上、組織の活性化や生産性の向上、優秀な人材の獲得や人材の定着率向上、業績向上や企業価値向上等が挙げられ、社会への貢献としては、産業事故の減少による社会への被害度・影響度の低下、ステークホルダーへの経済的損失の減少、サプライチェーンへの影響の低下、社会の信頼性向上等が挙げられる。したがって、産業安全の社会的評価の指標としては、安全成績のみならず、安全の確保・向上のための経営の安全理念、安全体制、安全活動、社会への安全情報の発信等も評価の重要な対象となろう。そして、社会的評価の高い企業等に対しては、表彰はもとより、保険、銀行融資、規制緩和等によるインセンチブを与えることも考慮されるべきであろう。
 産業安全の確保・向上を図る上で、今後、経営層の役割はいっそう大きくなっていくことを考えると、経営層を支援する総合保安力の検討や産業安全の経済効果や社会的評価の推進はますます重要なものとなろう。

保安力向上センター